おばあちゃんが生前住んでいた家を取り壊すことになり、私は両親とともに荷物の整理に訪れた。
おばあちゃんは数年前からグループホームで暮らしていて、この家には長い間人が住んでいなかった。古い木造の平屋で、ところどころ壁の色がくすんでいる。それでも、廊下の隅や障子の影には、昔の思い出がひっそりと残っているように感じる。
柴犬のまめ太も一緒に連れてきたけれど、いつもは元気いっぱいのまめ太が、この家に入った途端、しっぽを下げて小さく震えている。
「どうしたの、まめ太?」
そう声をかけても、まめ太は答えない。ただ、床をくんくん嗅いだり、天井をじっと見上げたりしている。なんだかいつもと様子が違っていて、少し不安になった。
荷物を片付けながら家を歩いていると、妙な音がいくつも聞こえてきた。廊下を歩くときに軋む音は、この古い家では当たり前だ。でも、それ以外にも、天井裏から何かが転がるような音や、微かに聞こえる囁き声のような音が混じっている。
最初は「ネズミかな」と思ったけれど、音のする方へ行ってみると、何もいない。物音はまるで私を警戒するように、ぴたりと止む。
「ねえ、なんか変な音がするよ」とお母さんに言うと、全く気にする様子もなく、笑って答えた。
「動物でしょ。人が来たら逃げるに決まってるじゃない」
確かにそうかもしれない。けれど、音がするたびに胸がざわざわして、なんだか落ち着かなかった。
午後、まめ太と一緒に屋根裏に昇ることにした。昇り口は狭く、埃っぽい空気が鼻についた。小さな懐中電灯で照らしながら進むと、古い荷物や壊れた家具が無造作に積まれていた。
「お宝とか、あったりしないかな」
ひとりごとを呟いてみたけれど、まめ太は落ち着かない様子で鼻を鳴らしている。突然、まめ太が低く唸り声を上げたかと思うと、一気に走り出した。
「まめ太!待ってよ!」
狭い屋根裏を懐中電灯を片手に追いかける。やっと見つけたまめ太は、何かをくわえて戻ってきた。そして、それを私の足元にポトリと落とす。
「え……なにこれ?」
それは信じられないものだった。手のひらに収まるほどの小さな存在。人間みたいな形をしているけれど、頭には小さな角が生えている。顔は可愛らしいけれど、不思議と生き生きとしていて、人形ではないとすぐに分かった。
その小さな何かが、怯えたような声で言った。
「見つかっちゃった……! 助けて!」
驚いて声も出せない私の前に、さらに同じような姿のものが二匹現れた。
「ほら、だから言っただろ?久しぶりに人が来たからって近づきすぎなんだよ」
「だってきになっちゃったんだもん!」
声を張り合うその小さな存在たちは、どうやら妖怪の「家鳴」というものらしい。大人には見えないらしく、彼らはずっとこの家を守っていたのだという。
家鳴たちが姿を見せてから、彼らはまるで昔からの友達みたいに、私に興味津々で話しかけてきた。
「ねえ、君って学校ではどんなことしてるの?」
「犬っていつも一緒にいるの?いいなあ!」
「この懐中電灯ってどうやって光るの?」
彼らの声は小鳥みたいに高く、まるでさざめくようだ。三匹は揃って、目を輝かせながら私の周りをぴょんぴょん飛び跳ねていた。
最初は戸惑ったけれど、少しずつ楽しくなってきた。まめ太も最初こそ警戒していたものの、今ではすっかり慣れて、彼らをじっと見つめたり、鼻先でつついたりしている。
次の日の朝、再びおばあちゃん家に訪れ中を歩き回っていると微かに楽しそうな音が聞こえてくる。和室を覗いてみると、家鳴たちが畳の上で遊んでいた。三匹でくるくる回りながら、小さな物音を立てている。何をしているのか聞いてみると、笑いながら言った。
「音を練習してるんだよ!この家が『生きてる』みたいに聞こえる音をね」
家鳴たちは音で家を守るんだそうだ。誰もいなくても「人がいる気配」を作り出すために、軋む音や床を叩く音を調整しているらしい。
その日は一日中、掃除をしている私の周りを色んな音を出しながら楽しそうに走り回っていた。
ある時急に3匹とも立ち止まってヒソヒソと話している。すると、
「ねえ、秘密の場所を教えてあげるよ!」
家鳴たちはそう言うと、廊下の隅っこの板を軽く叩いた。すると、そこがパカッと外れて、中から古い木箱が出てきた。
「ここ、ずっと僕たちが守ってたんだ。君が来たから、見せてあげようと思ってね」
木箱の中には、古い写真や手紙がぎっしり詰まっていた。それはおばあちゃんが若い頃、家族や友達と交わした手紙や、子供の頃に撮った写真だった。知らないおばあちゃんの姿に驚きながらも、私はなんだか心がほっこりするような気がした。
「すごいね、こんなものが隠れてたなんて」
「この家に住む人の大切なものは、僕たちが守るんだ。それが僕たちの役目だからね」
彼らが誇らしげに言うその顔を見て、少し胸がぎゅっとした。
最終日になると、家鳴たちの表情は少し曇っていた。私もだんだん別れが近づいているのを感じていた。
「この家、取り壊しちゃうなんて、本当に寂しいね」
私がそう言うと、家鳴の一匹がぽつりと言った。
「うん、でも仕方ないよ。この家と一緒に消えるのが僕たちの役目だから」
どうしても諦めきれずに、「うちに来ない?」と誘ったけれど、彼らは首を振った。
「ありがとう。でも、この家がなくなったら、僕たちもなくなる。それでいいんだ」
そう言って、三匹は肩を叩き合いながら笑った。
「でもさ、最後におどかすことができてよかったよ!君も驚いたでしょ?」
「うん、めちゃくちゃ驚いた!」
私も笑いながら答えたけれど、胸の奥が少し痛んだ。
帰り際、家鳴たちは肩に飛び乗ってきた。
「君に会えてよかった!人間と話すの、すごく楽しかったよ!」
最後に三匹は、私の肩からぴょんと飛び降りると、どこへともなく走り去った。その瞬間、家全体が静まり返ったような気がして、私は少しだけ泣きそうになった。
家に帰って数日後の夜。リビングで本を読んでいると、柱が「ミシッ」と軋む音が聞こえた。天井裏からも、かすかにコロコロという音がする。
「……もしかして、うちにも家鳴がいるのかな?」
私はまめ太にそう呟いてみた。まめ太は耳をピンと立てて、天井の方をじっと見つめている。
「そうだといいな」
私は小さく笑い、天井裏に向かって「おやすみ」と囁いた。音はそれっきり止まったけれど、不思議と安心感に包まれた。家の中に誰かが見守ってくれている、そんな気がしてならなかった。