信じて欲しかったが、誰も信じてくれなかった。僕が体験したことをここに書き記そうと思う。
婚約者である優香の病が発覚したのは付き合い始めて3年目のことだった。原因は難治性の自己免疫疾患。体が自分自身を攻撃し、徐々に衰弱していくという恐ろしい病気だった。初期症状は軽かったが、次第に進行し日常生活に支障をきたすようになっていた。僕たちは治療に奔走したが、効果が出ず、医者も「奇跡でも起きない限り」と言葉を濁すばかりだった。
優香は入院生活を余儀なくされ、僕は仕事をしながら毎日のように病院に通った。病院で医師から説明を受けるたび、治療の限界に直面する。薬の副作用に苦しむ彼女を目の当たりにし、僕は次第に無力感に苛まれていった。それでも僕は優香を支えたいと思う一心で、治療法を模索し続けた。
治療法を模索する日々の中、心の支えを求めて僕は近所の小さな神社に通うようになった。通勤途中に立ち寄り、「優香が少しでも良くなりますように」と祈るのが日課になった。最後の拠り所のようなものだった。
ある日、その神社で一人のお爺さんと出会った。大きなマスクをつけ、帽子を深く被った彼は、いつも僕より先に神社に来ていた。最初は挨拶程度だったが、何度も顔を合わせるうちに話すようになった。
「よく来ているねぇ。大事な人のためかい?」
物腰柔らかく、優しい声色に僕は彼女の病のことを話してしまった。彼は頷きながら静かに話を聞いてくれた。数日後、彼は突然、
「自分を犠牲にしてでも彼女を助けたいかい?」
と尋ねてきた。
「もちろんです!そんなことができるなら何だってやります。」僕は即答した。
「それだけ大事なんだね。いい心意気だ。叶うといいね。」
そう言って彼はポケットから古びたお守りを取り出し、僕に手渡した。
「気休めだけど、これを持っておきなさい。きっと叶えてくれる。」
受け取ったお守りは古びていて、神社の名前が掠れて読めないほど使い込まれていた。彼が帽子を取って初めて目が合うと、とても朗らかな表情をしていた。
その夜、僕はお守りを握りしめ、「彼女の病が治りますように」と願った。
次の日、彼女から電話があった。定期検査の結果、驚くほどの改善が見られたという。担当医も信じられないと驚いていた。
僕はその足で病院に向かった。彼女の顔は涙で濡れ、喜びに溢れていた。これまでの苦労が報われたようで、僕は胸が熱くなった。
帰り道、ふとお守りを見つめ、「これのおかげなのか」と思い、お爺さんに感謝を伝えようと次の日も神社に行ったが、あの日以降彼の姿をみることは無かった。
優香はみるみるうちに回復し、定期検査を受けながら社会復帰の準備を始めた。しかし、その頃から僕の中に奇妙な違和感が芽生え始めた。最初は彼女の目の位置がズレて見える些細なものだった。疲れによる錯覚だと思ったが、それが日に日に悪化し、あきらかに左右の目の高さが合っていない。
顔全体が爛れているように見え始めた。しかし彼女自身も、周囲の人もまったく気にする様子がない。
「肌が荒れてる?」と聞いても、彼女は気にする様子もなく、「冬だから乾燥かな」と笑うだけだった。しかし、僕の目には赤黒く一部溶けた顔が映り、触れると爛れた感触まで伝わってくる。
僕がおかしいのか。しかし日に日に優香の顔の歪みは酷くなり、直視するのがしんどいと感じるようになった。耐えきれなくなった僕は再びお守りを手にし、「このおかしな状況を戻してほしい。」と願った。次の日、優香の顔は元通りの可愛い顔に戻っていた。1ヶ月以上まともに彼女の顔を見れていなかったから、戻ってきた日常に安堵した。
それからだ。今度は僕自身の顔に異変が起き始めた。最初は腫れぼったい感じと軽い痒みだったが、次第に顔が赤く腫れだし、ブツブツが浮き出てきた。優香に聞いても、見た目は変わりないと言う。ブツブツした手触りだってあるのにだ。
皮膚科を受診しても異常なしと言われた。日に日に顔がボコボコと歪み、普段の2倍以上の大きさになっているように感じる。
鏡やショーウィンドウに映る自分も、写真に写っているものまでも漏れなく怪物のような見た目になっている。
精神科を紹介され、醜形恐怖症を疑われたが、認知の歪みという言葉では片付けられない。
鏡を見ないようにしても、ふとした瞬間に怪物と目が合うし、逆に今の自分の見た目が気になりすぎて鏡を見てしまうこともあった。見る度に頭がおかしくなる様な感覚になっていった。
段々と人目を避けるようになり、外出が困難になって会社も辞めた。彼女との連絡も無理矢理断ち、自宅に引きこもる日々。
何回もお守りに元の自分に戻してくれと願ったが自分の見た目は変わらず、逆に酷くなっていく。
このお守りを持っているのがいけないのかと思いなんども捨てようとしたが、いつの間にかポケットに戻ってくる。
なんであのお爺さんは僕に渡すことが出来たのだろうか。僕が素直に受け入れて願ったからだろうか。
誰かにお守りを渡せば解放されるのだろうか。
暗い天井を眺めながらぐるぐる考えるのも億劫になる。
気力もなくなってきて、最近はこんな化け物は居なくなった方がいいと思い込むようになってきた。
明日このお守りとともに終わらせるんだ。
優香の病気が良くなったんだからいいじゃないか。良かったんだ。良かったんだよな?