「午前3時に廃校のグラウンドに立つと、屋上から『地獄行きおめでとう』って書かれた幕が垂れ下がってるらしいよ。」
直樹が話し始めたのは大学の講義帰り、いつものファミレスだった。適当に頼んだドリンクバーを片手に、俺と翔太の顔を交互に見ながら、どこか楽しそうに話していた。
「あそこ、ボロボロで危ないから立ち入り禁止なんだろ?入れないんじゃ意味なくね?」翔太が飽きたように言う。
「いや、校舎の中に入らなくてもいいんだよ。グラウンドから見上げるだけでその幕が見えるらしい。」
俺たちは最初、完全に冗談だと思って聞き流していた。そんなもん、誰かのイタズラかネットに転がってる適当な噂だろうと。だけど、直樹は引き下がらない。
「誰も確かめたことないんだって。『地獄行きおめでとう』なんて書いたやつ、相当悪趣味だよな。でも本当に見えるのか試してみたくね?」
そう言いながら、直樹はにやりと笑った。翔太は呆れたように溜め息をつき、俺もその時は「まぁ、暇つぶしにはいいか」程度の軽い気持ちだった。
夜中の2時半、俺たちは車でその廃校に向かっていた。田舎道を走る車内には、直樹が作った「肝試し用プレイリスト」の不気味なBGMが小さく流れていたが、誰も喋らない。窓の外は月明かりに照らされた田んぼが広がり、時折、茂みから何かの影が飛び出してきそうな気配にゾクリとする。
「おい、静かにしろよ。余計怖くなる。」翔太が音楽を切り、沈黙がさらに重くなった。
ついに廃校が見えてきた。黒い影のように立つ校舎は、朽ちた外壁が月光を反射している。車を校門の近くに停め、全員が無言のまま降りる。
「これ……入らなくても怖ええな。」翔太が言った。
グラウンドに一歩足を踏み入れると、冷たい風が俺たちの間をすり抜けた。その瞬間、屋上から垂れ下がる白い布が視界に入る。
「……あるじゃん。本当にある。」直樹が声をひそめる。
ボロボロに汚れた懸垂幕が風に揺れている。遠くからは文字は確認できず、俺たちはおそるおそる近づき、文字を確認しようとした。
「『地獄行きおめでとう』……だな。」翔太が吐き捨てるように言う。
所々掠れているが、確かにそう読める。だが、それだけではなかった。その隣には、名前らしきものが書かれている。
「なんだこれ。誰かの名前か?」
「掠れて読みにくいけど……なんか、お前の名前っぽくね?」直樹が俺を指差した。
「やめろよ。」俺は直ぐに否定した。「イタズラに決まってるだろ。気味悪いこと言うな。」
しかし、その名前に目を凝らすと、掠れた部分から見覚えのある漢字の一部が目に入る。俺の名前のような気がして咄嗟に目を逸らしてしまった。1度自分の名前かもしれないと思うとそうとしか思えなくなってくる。
「……気のせいだ。ただの偶然だ。」
言い聞かせるように呟く。
だが、背中には冷たい汗がじっとりと滲んでいた。
「なぁ……窓際に何かいるぞ。」
突然、直樹が声をひそめた。
「やめろって。いないって。」翔太が笑ってごまかそうとする。
「いや、いっぱいいる……ぎっしりいる……」
俺たちは思わず校舎の窓を見た。そこには、無数の人影がみっちりと窓枠を埋めつくしていた。全員こちらを見ている。
「逃げるぞ!」
翔太が叫び、一目散に車へ走り出した。俺も直樹も後に続く。校舎からの視線を背中に感じながら、俺たちは無我夢中で車に飛び乗り、エンジンをかけると同時に全速力でその場を離れた。
車内では皆終始無言だったが、しばらくして近くのコンビニ寄ろうと翔太が提案してきた。そのまま帰るには気味が悪かったから直樹も俺も食い気味に賛成した。駐車場に車を停めると、俺たちは疲れた顔を見合わせ、互いの無事を確認しあう。店内で適当に飲み物を選び震える手でレジ台に置くと、ヤンキー風の店員が話しかけてきた。
「…大丈夫っすか?」
俺達は顔を見合せ、
「……廃校の噂って知ってますか?」と翔太が尋ねた。
「あー、行ったんすね。」店員は軽く笑った。
「あそこ行った人、みんなここ寄るんすよね。」と、ため息混じりに続けて話す。
「入口の方、見てみたらわかるっすよ。」
そう言いながらチラッと店員はコンビニの入口の方を見た。
俺達もつられて振り向くと、コンビニのガラスの向こうに、無数の黒い影がへばりついていた。全員、こちらをじっと見つめている。
「……しばらくしたら消えると思うんで、見えなくなるまで外出ない方がいいっすよ。」店員はそう言い残し、バックヤードに消えた。
俺達は入口から目を逸らし、レジの前で呆然と立ち尽くすしか無かった。震える手を眺めながら、ただ祈るように時間が過ぎるのを待つ。
突然、空気がふっと軽くなった。それと同時に、嫌な気配も消えていた。
「……帰るか。」直樹の声に頷き、俺たちは車に乗り込む。
車が走り出し、東の空が薄く白み始め、夜の終わりを告げていた。
「なぁ……俺、大丈夫だよな……?」
俺がつぶやいたその言葉に、誰も答えなかった。ただ、車のエンジン音だけが暗闇に響いていた。