私は幼稚園から小学校に上がる前くらいまで、とても仲の良い女の子がいました。
彼女の名前はどうしても思い出せないけど、顔は今でもはっきり覚えています。ツインテールに少し大きめの目、そして笑うと見えるえくぼ。私はよく彼女の家に遊びに行き、公園で一緒に遊んだ記憶があるんです。
彼女の家は古びた木造の家で、薄暗い廊下や、小さな庭にぽつんと立つ赤いブランコが印象的でした。家に行く道も覚えています。幼いながらも、「曲がり角を二回曲がった先にある」とか、そういった細かいことまで記憶に残っています。
でも、どうしてか自宅からの道のりを思い出そうとすると途中からぼやけてしまう。
高校生になったある日、ふとその女の子のことを思い出しました。懐かしい気持ちでいっぱいになって、母親に「あの子、元気かな?」と聞いてみたんです。でも母は怪訝そうな顔をしてこう言いました。
「誰のこと? そんな子、知らないわよ」
最初は冗談だと思いました。でも、話していくうちに母はますます困惑した様子で、私が「遊びに行った家」のことや「よく遊んだ公園」のことを話しても、一切思い出してくれませんでした。
「それに、あのくらい仲が良かったなら私が知らないはずがないでしょ。ましてや、家にまで遊びに行く仲ならなおさら」
確かに、と私は思いました。でも、記憶ははっきりしているんです。彼女と手を繋いで歩いた公園の小道、彼女がくれた不思議な形の石。今でもその石がどこか家にある気がします。でも探しても、どこにも見当たらない。
母は「子どもにはよくあることよ。作り話が本当の記憶みたいに思えることもある」と言っていました。でも、それだけでは説明がつかないほど、彼女の顔が私の中では鮮明なのです。
最近、妙なことに気付きました。私が幼い頃の家の近くにあったはずの公園、あの公園の場所を調べようとしても、どこにもその存在が確認できないのです。地図にも載っていないし、誰に聞いても「そんな公園は知らない」と言います。
でも、私は確かに覚えているんです。あの赤い滑り台や、砂場の隅にあった枯れた木のことを。そこで彼女が私に笑いかけた瞬間も、今でもはっきりと思い出せます。
私の中の記憶は、どこからどこまでが本当で、どこからが嘘なのか。そして、もしも彼女が嘘の記憶なら――なぜ、こんなにも私の中で生き生きとしているのでしょうか。