これは、数年前、友人たちとキャンプに行ったときの話です。
その湖は山奥にあり、地元でも「静かで美しいけど、どこか不気味だ」と噂される場所でした。キャンプ場は整備されていましたが、利用者が少なく、特に平日は閑散としているようでした。その日も他に客はおらず、私たちだけの貸し切り状態。初めはこの静けさを「贅沢な時間」と喜んでいましたが、夜が深まるにつれて、奇妙な緊張感が漂い始めました。
到着した夕方、私たちは湖畔にテントを張り、焚き火を囲んでバーベキューを楽しんでいました。湖は静かで、波一つ立たず、満月の光が水面に鏡のように映っていました。風もなく虫の声も遠く、あまりにも静かな夜でした。最初はその静けさを自然の神秘として楽しんでいましたが、次第にそれが異様に思えてきました。
夜も更けて、焚き火の火が少し小さくなった頃、友人の一人が「ねえ、あれ見て」と湖の方を指さしました。湖面の遠くに、何か光るものが見えます。最初は月明かりの反射かと思いましたが、明らかに違いました。その光は水中から点滅していて、まるで車のライトのように一定のリズムで明滅していました。
「なんだ、釣り船か何かか?」冗談交じりに言っていた友人たちも、次第にその異様な光景に言葉を失っていきました。光は少しずつこちらに近づいてきます。明滅するたび、光が強くなり、その正体が次第にはっきりしてきました。
湖面の下には、大きな乗り物が沈んでいるのが見えました。私たちは目を凝らして確認しましたが、それは間違いなくバスでした。錆びた外装がぼんやりと見え、窓ガラスの中から微かな光が漏れています。「沈んだバス…?」と誰かがつぶやきましたが、その言葉には不安と恐怖がにじんでいました。
しかし、それだけでは終わりませんでした。バスが水中からゆっくりと浮かび上がってきたのです。完全に浮かぶわけではなく、水面のすぐ下で停止しました。そして、その窓ガラスの中に影が見えました。
最初は一つ、次に二つ、三つ…。窓の中から人影が私たちをじっと見つめていました。輪郭はぼやけていましたが、目の部分だけが暗闇の中で光を帯びているように見えました。人影は動きません。ただ、こちらを見つめているだけ。それが余計に恐怖を掻き立てました。
「おい、見てるよ…俺たちのこと…」誰かが震えた声で言いました。その瞬間、バスのヘッドライトが突然点灯しました。湖全体が白く照らされ、私たちは目がくらみました。水中から発せられた光なのに、異常に強烈でした。
そして、その光の中で、窓の中の人影たちが手を伸ばし、こちらに向かって手を振り、指差しているのが見えました。まるで私たちを招いているような仕草でした。それを見た瞬間、全員の本能が「ここから離れろ!」と叫びました。
「逃げろ!」という友人の叫び声で我に返り、私たちは焚き火も荷物も放置して車に駆け込みました。エンジンをかけて湖を離れた後、後ろを振り返ると、バスは跡形もなく消えていました。ただの静かな湖面が広がっているだけでした。
翌日、湖について調べてみると、過去に観光バスが湖に転落する事故があったことを知りました。そのバスには多くの乗客が乗っており、助かった人もいれば、そうでない人もいたそうです。
あの夜、湖面に浮かんだバスと私たちを見つめていた人影…。それが事故で亡くなった人々だとしたら、彼らはまだ湖底で何かを待っているのでしょうか。そう思うと、今でも背筋が凍ります。