気がついたら、私は歩道に横たわっている自分を、見つめていた。目の前には私を見つめる幼い息子の泣き顔。救急車のサイレン、周囲のざわめきが遠くで聞こえる。
「ママ!起きて!ママ!」
その声が届いても、横たわっている本来の私の体は動かなかった。どうやら暴走した車が歩道を歩いていた私たちに突っ込んだらしい。自分の命がもう終わったのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。それでも、どうしてか、私は息子のそばにいることができた。
どうしてそれが可能なのかはわからないけれど、彼が私を思い出しているときだけ、不思議と彼の近くに行くことができた。
最初のうちは、彼が私の写真を握りしめるたびに私は彼のそばに居た。夜中に泣きながら「ママ、どこにいるの?」と呟く彼を、何度も見守った。手を伸ばして彼を抱きしめたいのに、触れることができない。それがもどかしくて、泣きたいのは私のほうだった。
けれど彼は成長していく。少しずつ私を思い出す頻度が減り、そばにいられる時間が短くなっていくのを感じた。彼の時間は早送りされていくようだった。幼かった彼があっという間に少年になっていく。
「そうだよね、これでいいんだ。私がいなくても大丈夫になった証拠だもの。」
自分にそう言い聞かせるけれど、彼の笑顔を見るたびに胸の奥がぎゅっと締めつけられる。嬉しいけれど、寂しい。母としての役目を終えることへの喜びと、忘れ去られることへの恐れが入り混じる。
彼のそばに行けたある日、私は彼と新しい母親の姿を見た。彼がその人に気を遣いながら話している姿は、どこか不自然だった。そしてその数分後、
「なんでこんなこともできないの!」新しい母親が怒鳴り、彼の頬を平手で打ったのだ。
「やめて!」私は叫びながら彼を抱きしめるように覆いかぶさった。でも、私の手は彼に触れることすらできない。振り上げられた手は私をすり抜け、彼の頬を打つ冷たい音だけが響いた。
息子の小さな肩が震えていた。何もできない自分が悔しくて、情けなくて、怒りで胸が張り裂けそうだった。
「こんなときに守ることもできないなんて……母親失格だ。」
それでも、彼は生きていかなければならない。その強さを願いながら、私は静かにその場を離れるしかなかった。
それから、彼のそばに行けることはさらに減っていった。年に一度、私の命日に彼が写真を見つめて涙をこぼす、そのときだけ。彼は思い出してくれる。でも、それ以外の日々は私はいない。この世のどこにも存在しないのだと思う。
ある日、彼のそばに行けたとき、彼には恋人ができていた。幸せそうに笑う彼の姿を見て、私の心は温かくなる。
「きっと、これが最後だね。」
そう思った。それでも、彼が幸せなら、それでいい。私のことを思い出さなくても、もう十分だ。
私がそばに行けたのは、神様からのご褒美だったのかもしれない。息子が私を忘れて、心に新しい幸せを見つけてくれること。それが私にとっての成仏なのだろう。
最後に彼の笑顔を見ながら、私は静かに目を閉じた。
それは、永遠の別れだったけれど、決して悲しいものではなかった。
それからどのくらい経ったのかわからない。ふわふわした場所を漂っていた私が目を開けると、老年男性が立っていた。シワは沢山あるが、一目で誰だかわかった。
彼は柔らかな微笑みを浮かべながら、私を見つめている。すると彼の姿は溶けるように形を変えた。とても見覚えのある、生前一緒にいた時の姿になったのだ。
「ママ。」
その一言が、私を涙でいっぱいにした。
「会いたかったよ……ずっとずっと、会いたかった。」
彼は私にギュッと抱きついた。今度こそ、私は彼の温もりを感じることができた。彼に触れることができなかった分、私は精一杯その肩を抱きしめた。
「どうしてこんなことができたの?」私は彼に尋ねた。
彼は微笑みながら答えた。
「臍の緒と一緒に火葬してもらったんだ。迷信だと思ってたけど、本当に会えるだなんて。
ずっとママに伝えたかったんだ。『ありがとう』って。命をくれたことも、ずっと見守ってくれたことも、全部。だから、こうしてまた会いたかったんだ。」
涙が溢れた。私の息子は、私以上に強く、優しい人間に成長していた。
息子と再会した喜びは、言葉に尽くせない。ようやく心が満たされるのを感じた。
私たちはあの世で一緒に歩き始めた。